Go messing

「構わず、あなたでありなさい」

人は不条理で自己中心的なものです。
構わず、彼らを許しなさい。

あなたが人に親切にすると、
人はあなたの偽善を責めるでしょう。
構わず、親切でありなさい。 

あなたが正直であれば、
人はあなたを騙すでしょう。
構わず、正直でありなさい。

あなたが幸せだと、
人はあなたを妬むでしょう。
構わず、幸せになりなさい。
     
今日あなたのしたよい行いは、
明日には忘れ去られるでしょう。
構わず、よい行いをしなさい。

               
親切で慎み深くありなさい。
あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰れるようになさい。
親切があなたの表情に、まなざしに、
ほほえみに、温かく声をかけることばに
あらわれるように
子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに 
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
世話するだけでなく
あなたの心を与えなさい

何もしなくてもいい。
そこに苦しんでいる人がいることを
知るだけでいいのです。

あなたがちょっと微笑むだけでいいのです。
新聞を読んであげると、慶ぶ目の不自由な人も、
買い物をしてあげると、慶ぶ重い病気の母親も
いるでしょう。

小さいことでいいのです。
そこから、愛は始まるのです。

平和は微笑みから始まります。
1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に
微笑みかけなさい。
それを平和のためにするのです。

健康な人やお金持ちは、どんなウソでも言えます。
飢えた人、貧しい人は、
にぎりあった手、見つめあう視線に、
ほんとうに言いたいことをこめるのです。

ある人が尋ねました。
「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」
私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、
と答えました。
より少なく持てば、
その分、より多く与えられるのです。
より多く持とうとすれば、
より少なく与えることしかできません。

私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに
間違うほうを選びたいと思います。
      
(マザーテレサ)

— (via fffff9)

(元記事: stilllll (highlandvalleyから))

 なぜ“素人”メーカーは多彩なテクニックを駆使できないのか。その原因は、製造元のハッタリを見抜けないことにある。あらゆる製造元は商談のときに「これだけの量を買ってくれたら値下げしますよ」と条件を出してくる。“玄人”メーカーにとってこのような駆け引きは日常茶飯事であり、その要求を断った上でさらに自社にとって有利な条件を引き出すが、メーカーとしての購買経験のない素人メーカーはこの製造元のハッタリを信じてしまい、要求してきた数量を要求してきた価格で買ってしまったりするので、製造元がむしろ驚くことになる。こういう交渉では、現場の担当者が反対しているのに社長が無理矢理決済してしまうパターンもある。

 しかも返品や不良発生時の責任分担、送料の負担、一括納品か分納かといった詳細の打ち合わせもせず、とにかく発注書を流してしまう。製造元からしてみると、発注書さえ届いてしまえばこっちのものである。かくして山のように送りつけられた商品がコンテナ単位で倉庫に積み上がり、売っても売っても減らず、投げ売りをしても追いつかず、タダで配っても追いつかず、時間だけが絶望的に過ぎていくことになる。

 “玄人”メーカーの場合、こうしたデッドストックの処分方法についてもノウハウがあるので万一の場合も対応は容易なのだが、購買経験のない企業はただひたすら右往左往するだけで有効な手を打てない。そして決算期が来て棚卸のときに大量の「資産」が倉庫内を陣取っているのを見て、そこで「ああ、メーカーにとって在庫ゼロの状態が最も理想的なんだ…」と初めて納得する。しかし、時すでに遅し、だ。

牧ノブユキの「ワークアラウンド」:それいけ! ズッコケ“異業種”参入組み (1/2) - ITmedia PC USER (via rpm99)

(gkojax-textから)

ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

心が痛くなるコピペ、画像貼ってく:哲学ニュースnwk (via bochinohito)

(shinjihiから)

「美術って、遊びを商売にしているようなものだけど、学校ではそんなに遊んでばかりいると教頭先生に叱られてしまうので、ちょっとは絵を描いてみようか」

とA4のコピー用紙を配る。

「さーて、紙はいきわたったかな?

 それでは、わけた紙にちょっと絵を描いてもらう。これから黒板に書く条件で描いてもらうぞ。」

と、以下を板書する。

  • 画材は何でもいい。鉛筆でもボールペンでもマジックでも、持っているものを適当に使うこと
  • ただし、紙を見てはいけない。下敷きにノート等を使い、机の下で描くこと。

「さあ、条件はこれだけ。とにかく、見ないで描けばいいということだ。

 では、この条件でこれから板書するものを描いてください。

 時間は3分。質問はなし」

と、モチーフを板書する。

  • 皿の上にリンゴがのっているところ

意味わかんねーよ、とか、時間が短すぎて描けねーよ、とかいう文句を聞き流して

「はい、じゃあはじめてー」


「よーし、そろそろ時間だね。はい、では紙を机の上に出してくださーい。

 ちょっと見回らせてもらおうかな・・・・・・」

ニコニコしながら自分で机をまわって、絵を見ていく。全員分をみたところで

「・・・・・・・うんうん、やっぱりねー」


「僕は毎年4月の初めの授業で同じことをやっていますが、今年もやっぱり、でした。では、何がやっぱりなんだと思いますか?」

「ほぼ9割以上の人が、丸い皿の上にリンゴひとつ、それを斜め上から見たところを描いていますね。僕は「皿の上にリンゴがのっているところ」としか書いていませんね。皿の形も、見る角度も、リンゴの個数も指定していません。」

「だいたい、クラスに数人くらい、少ないときは1人か2人は、真横から見たり、四角い皿を描いたり、リンゴを複数描いたりします。切ってウサギを作ったところを描いた人も過去にいましたよ」

「見ないで描けというのは、実は罠です。見ることができないと、かえって「上手く描こう」というほうに意識が向いてしまいます。そのために、美術にとって1番大切なことがおろそかになってしまう。美術にとって1番大事なことは、上手に描くことではないんです。」

「では美術にとって1番大切なことって何か。それは【ものの見方・ものの捉え方】なんです。特に10代のみなさんにとっては【自由にものを見る】ということが大切だと僕は思います。」

「さっきトランプ手品をやりましたよね。手品って、人間の視覚の構造を利用したり、人間の意識の自由を奪って騙すものなんです。」

「当たり前の丸い皿を、当たり前の角度から、とりあえず1つだけ描く。これって、全然自由がありません。上手に描こうということに意識を奪われてしまい、他のことを考えられなくなってしまったから、自由がなくなってしまったんです。皿の上にリンゴがのっているところを描くという、こんなシンプルなことですら、みなさんの自由は簡単に奪われてしまいました。」

「何かに囚われずに考えるとき、人間は自由でいられるんです。みなさんは、囚われずに考えてはじめて人間は自由になる、ということを今は大事にしてください。これは美術に限ったことではありません。数学も英語も国語も物理も歴史も、人間が自由になるために積み上げてきたものだと僕は思います。」

「自分で考えて自由になる、というのはとても気持ちのよいことです。美術というのは、そうした自由がそのまま大事にされます。こういう自由を愛する人は、きっと美術が好きになってくれると思います。」

「本当は、囚われる、ということも美術にとっては大切なことなのですが、それについては10年後にいっしょにお酒を飲むことがあったらお話しますね。」

「それではこれから1年間、僕と付き合ってください。ああ、つまらなかったら授業にでなくてもいいですよ。作品さえ出してくれれば、作品だけで成績をつけますから。しつこくいいますけど、他人の邪魔さえしなければ出席を含めた態度なんてどうでもいいんです」

皿の上のリンゴ - 地下生活者の手遊び (via koris1974)

(yotta1000から)